統合失調症が旅に出た

10.5章 死んだと思っていた父に会えば会うほどに悲しくなったけど僕は前向きに生きていく

当ブログを運営しているわたたくの生い立ち番外編の10.5章。

小学6年生の頃に父が死んだと聞かされていて18歳までは母と2人暮らし。18歳の途中から祖母と祖父の家で暮らし始める。

23歳。

カナダにワーキングホリデー留学に行く前に親父は生きていて近所の駅に住んでいると母から伝えられました。

カナダに行く前に会い、帰国してから音楽活動をする中で何度か会って親父のことを知れば知るほど怒りと(あぁ。やっぱり僕は1人なんや)って感じて悲しい気持ちに・・・。

家族との関係が複雑な方にお届けしたい記事です。日本では家族の問題を相談しにくい環境なのでここで書くことによって1人じゃないと感じてもらえればなと思います。

帰国後の演奏先で

28歳頃。

音楽活動をする中で父の知り合いのお店を紹介してもらって演奏もしていました。

その中で父の知り合いに「いつまでたっても遊んでてもなぁ。遊ぶのは30歳までやで。」

などと酒の席でひたすら言われる。

(飲み会にもほとんど行ったことないし海外でも出来るだけやれることはやってきたつもりだし僕の何を知っているんだろう?)思った。

そして他の知り合いから聞かされる父の過去。何やらお酒を飲んで暴れたりした経験が何度もあるらしい。

実際、この日もお酒を飲んで近くに座っていた女性グループに声をかけて嫌な表情をされたりしてこちらが申し訳ない気持ちになった。

口ぐせは「金がない。」その割には高級なバイクといつも綺麗な女性と一緒にいた。帰りは道に唾を吐き散らかして歩いてその女性に面倒を見てもらいながら一緒にタクシーで帰った。

そんな父を見ていてがっかりした。

僕はきっと気楽な勢いで生まれた

僕の心の病のことは父は母から聞いていて知っていた。

親父ということもあるし個人的に話を聞いて欲しかった。もらえた言葉としては「まぁ。色々あるけど気楽に生きよう。」の一言。それより酒を楽しみたいという雰囲気。

親に期待してはいけない。自分の欲求に集中して気楽に生きれる人が羨ましくなった。

僕をコントロールしたい母。僕を放ったらかしにして死んだことになっていて気楽に生きろという父。

その間に挟まれて僕はこう感じた。

(あぁ。僕は日本が上手くいってる時代の空気や世間の考え方の勢いで生まれたんだろうな。)

きっとそんなつもりはないだろうと思います。でも僕はそう感じて悲しくなった。

会えば会うほど。知れば知るほど悲しくなった。こういう風に考える僕はなんて卑屈なんだろう。(だめだなぁ。)と親を愛せない自分を責めもした。

何度か会って僕の中で父は死んだまま

僕はお酒が好きな祖父との暮らしもあってお酒やアルコールを飲んで人を嫌な気持ちにさせる人が大嫌いです。

父が今、何をしているのかも興味はないです。

亡くなったとしても父の周囲の知り合いに小言を言われに行き、言い返すも言い返さないにしても殺伐とした空気にしたくないのでお葬式にも行くつもりはないですね。

誰もいない時間かお墓のようなものがあるとしたらそこに行こうと考えています。

まとめ

これまでの人生の中で多くの怒り、憎悪、悲しみ、絶望、どうしようもないことがあるということをたくさん経験させてもらえました。  

30歳。自分の感情をコントロールするためにこれまで12年間行動して本を読んだりする中でようやくその経験をポジティブに考える事が出来るようになりました。

後ろばっかり振り向いて生きて来たけどこれからの人生は前向きに生きいく決意と覚悟をしました。

人とはちょっと違う人生かもしれないです。色々と言われることもあるし思うこともあります。でも自分を信じてきっと人生は良くなると行動していきます。

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