統合失調症が旅に出た

統合失調症が歩んできた道

はじめに。

「お母様に聞いてないんです。この子に聞いているんです。はい。 どこが痛いかとか説明して。」

「・・・・・・。喉がいた・・・。」

「喉が痛いみたいです。あとせ・・・・・・。」

それでもなお私の会話を遮って話し始めた母を人差し指を口の前に立ててやめさせた医者。

私は母の顔色を伺い、びくびくしながら話し始めた 。

統合失調症を発症して11年目の現在。自分の人生を生きようと迷いながらも決断してきたことは私の表現活動の糧となっている。

1 勉強してるふり

小学4年生のとある日。学業の成績が下がり始めた私は母と一緒に勉強することに。何回説明しても分からない私にイライラした母は「なんでこんな問題がでけへんねん?これからどうすんねん?」と頭を叩いた。恐怖でシャーペンを握る力を失えば「ちゃんと書けや!!」と消されていくふにゃふにゃな数字たち 。ノートに涙のシミを作れば「何を泣いてるねん!!」と怒声を浴びせられる。

この出来事以降、意見を言えば言い争うことが多くなったので親子間の会話はほぼ皆無。勉強をしているふりが得意になり、母にバレないようにスリルを味わいながらコンピューターゲームをするようになった。

2 大人の前だけ大人しい

中学。私は大人に対して心を閉じた。同世代のクラスメイトとは話して笑うことはできたけど大人に対しては挨拶もできないし質問されても一言で返答していた私。

「何を考えてるのか分からなくて怖い。頼むから刺さんといてくれよ。ワハハハハッ!!」

あたかも刺されたかのようなジェスチャーをして盛り上がる当時関わっていた大人たち。悲しくて複雑な気持ちにさせられた。

担任の先生もいつも僕とは関わりづらそうにしていた。

3 嘘つき

行きたい高校があった。だけど中学の面談で「成績が足りないし、ここに入って勉強に必死になるより確実に入れる高校でトップになった方がいい。」などと僕を想った言葉を言ってくれて行きたい高校へ挑戦もせずにあきらめた。

高校1年生。母と担任との面談。高校2年生からは今いる学科から理数科へいける実力があるとのことだった。

「将来のことを考えたらやっぱり理数科の方がいいですか?」

「そうですねぇ。 」

母は世間を参考に生きてきたのだろう。自分の意見というものがまるでない 。 いや、母自身自分の意見を言わせてもらえたことがなかったんだろう。私が自分の意見を言うと激しい言い合いにもなった。言いたいことを言い合った後に「クソガキのくせにと呟かれて2回戦が始まるのが常だった。

そんな経験から私は(どうせ意見なんて聞いてもらえないし)ということで「理数科にいきます。」と自分に嘘をついた。

数学と物理は本当に苦手で深夜遅くまで頑張って勉強してテスト期間中は朝早くに学校に行って勉強して赤点ギリギリを取れていた。

意見を言えない自分に猛烈に腹が立った。

4 貫く自分

人に言われたこと。世間の考え方を基準に決意して納得がいかなければとてつもなく強い後悔や憤りを感じる。

だから自分の心に従って決めると決意。

「大学は英語系の短期大学に行ってそこから勉強を頑張って大学に編入する。」

高校卒業前。私は苦手な理数系の勉強に疲れ果てて自分のやりたいことを母に伝えた。

「男が短期大学で就職できるはずなんてないやろうがっ!!な〜に言っとんねん!!」

それでも私は私のやりたいことを貫き通して英語系の短期大学に入学した。

入学する前、当時は病院にも行っていなかったので分からなかったが統合失調症という心の病を発症して何度か救急車で運ばれたこともある。

母とは一緒に住めないまでに関係が悪化、祖母の家へ住むことにした。

5 文化の衝撃

短期大学時代。

自分で決意したことに対して行動するのがとても怖かった。

自分を変えたい、当時はまだ分かってなかった統合失調症を回復させたいと願ってアイスランドとドイツの海外ボランティアに参加。出会った外国人の仲間はみんな自分を生きていた。

自らの意思で好んで勉強して、相手に配慮しつつも自らの意見を言える彼らの文化を直接経験。何も考えずに勉強をしてゲームばかりしてきた自分を責めて泣いたこともあった。

海外ボランティアは短い期間だったので少しでもこれまでを変えるために行動を始めた。

まだ英語が話せなかったアイスランドの海外ボランティアでは現地でギターを購入して演奏。打ち解けるための行動を起こした自分に少し自信がつき、仲間たちにも受け入れられて10年経過した今でも関係が続いている仲になった。

18歳。ここから自分の人生が始まった。

6 見れるだけ見れるなら

勉強を頑張って無事に同じ英語系大学への編入に成功。

卒業後には就職という道が安心だったが私はワーキングホリデーでカナダに1年間滞在。世間の声を意識しすぎるのはまだまだ抜けず、帰国後の人生も大変な情報ばかりが頭に溢れてて止まらない迷い。

結果としてカナダに行き、どうせなら世界を見たいし見てやろうと旅をする不安にも負けずに約20ヶ国を帰国前に旅をした。

7 本気

帰国後の就職活動中。ある会社の3次面接で社長に言われた。

「君は音楽をやってきたみたいだけど本気でやってきたの?やり尽くしたの?」

「・・・・・・。は、はい・・・。」

言葉は出なかった。本気でやってきてこなかったという証拠だ。社長も途中でやっぱり音楽がやりたいとか言い出しそうと思ったんだろう。面接はもちろん不合格。

他にも何社か受けるも上手くいかなかった。同時に心の状態も優れなくなっていくつか病院へ行くと統合失調症であると診断される。(僕は病気じゃない)と受け入れない努力するも統合失調症の書籍から同じ症状だと知って受け入れた。

8 自信と挫折

(音楽を本気でやってみよう。)と決断して色々なバー、飲食店、カフェ、船の中とアンプを持って弾き語りの活動を一人で続けた。

生まれ育った街のコンテストで優勝して音楽大使に任命されたことは自信になったが活動を続けて6年目・・・。統合失調症のための薬からくる副作用。続かないアルバイト。電車やバス、船で重たいアンプとギターの移動の音楽活動に疲労困憊。

人間関係にも大いに疑問を感じるようになって大きく落ち込んだ。当時はフェイスブックも消して一気に人間関係を整理した。

9 ブログと写真

音楽を一旦休憩しようと迷いながらも決める。ブログと写真を始めてからちょっとずつ毎日が明るく感じるように。

引きこもっていたが写真を通じて久しぶりに人が多く集まる写真教室(遊美塾)へ。その教室の先生の言葉が響き、講義中に何度か泣き出しそうになったのをこらえた。

文字を書くことも好きだと気づき、どんどん外へ写真を撮りに行ってはブログに書いていってこの文章を書いている時点では600記事を超えるまでになった。

10 告白

29歳。

行動する気持ちが湧いてくる。英語も少しは話せるということで行ける時にワーキングホリデーへ行こうと2018年7月から台湾へ。

台湾では悩みながらも統合失調症であることをブログでカミングアウトした。カミングアウトしてからダメになった仕事もあったが気にせずに会いにきてくれる人、応援メッセージを頂けたことにも励ましてもらえた。 統合失調症であることを知りながらも写真撮影の仕事も依頼して頂けた経験もできて自信になった。

台湾留学も残すところ約1ヶ月。

帰国後に私はまた迷って決断を迫られることになるだろう。

おわりに

進路。仕事。病の受け入れ。夢。別れ。

人生の岐路には深く考えない楽な道と苦しい道がある。

苦しい方。時に抜け出せないかのような迷路で長く迷う。走り、行き止まりに直面し、歩くのも疲れて座り込む。ぼーっと迷路を見上げて登ろうとするもののほんの少しの爪痕が残るのみ。腹を立て、叫びながら壁を叩いた後にやってくる痛み、虚しさと孤独。心の貧しさを紛らわすために歩き始めて見えたかすかな光。雨風にさらされながらも求め続けると光はだんだんと大きくなり、決断する時には身体が光で包まれる。

そしてやってくる別の人生の岐路。

迷いと決断の数だけ私たちの人生は豊かになる。

私は今後も多くの迷いに足を踏み入れて光を目指し続けるだろう。

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